平和のつどい・語り継ぐ昭和

壇上の新井勝紘さんと企画委員

ダイナさんとサンサンシンガーズ

8月16日(日) 福生市主催の「平和のつどい」が、福生市民会館小ホールで開催されました。
今回で28回目になるこの会は、市民の委員によって企画され、「ふっさっ子の戦後70年―自分史を語る―」と題し、元専修大学文学部教授で熊川で生まれ育った新井勝紘さん(1944年生まれ)の講演会が行われました。

新井さんは、専修大教授の時には「自由民権運動史」「戦争と兵士」「戦後地域運動史」などのテーマに取り組み、民衆史の視点に立って研究を進めました。
また、自治体史の編纂にも関わり、福生市史なども執筆されました。

講演会でははじめに、お名前の「勝紘」という字について触れました。「紘」という字は「八紘一宇」からきていて、世界を一つの家にすること、海外侵略を正当化するために使われていた標語だそうです。同級生の名前も、勝利、勝子、満征、捨己など時代を感じる名前が多い、とお話しされました。
福生院坂にあった防空壕、片倉工業多摩製作所の片倉シルク号自転車、臨海学校、「赤線区域」という題の小学生の作文の紹介など、小学生から見た戦後の福生の様子が、ユーモアを交えて語られました。

60年安保闘争の年、都立国立高校の1年生だった新井さんは、親友と二人で「路の会」を結成し、同人誌「路」を発行。政治、文学、芸術等を議論し、その活動は三多摩の高校に広がって行ったそうです。
その時のことを、後に執筆された「路の会と青春譜」に「ぼくが本当に政治とか社会という問題に強い関心をもちはじめたのは、この時からだといえる。このころの私は大沼(親友)と顔を合わせれば、安保や基地、政治の話ばかりしていた。お互いの高校はちがっていたけれど、暇さえあればどちらかの家に入りびたって、ずいぶん背のびした議論をしていたように思う。二人のこのやりとりのなかから、雑誌「路」の発刊と同じ年の高校生に呼びかけて話し合ってみようという結論になり、路の会の結成になった。」と、当時を振り返っています。

現在、国会で審議されている「安全保障関連法案」についても、大学生や高校生、若い世代の人たちが反対を訴え行動を起こしています。
時代が変わっても、若者の発想と行動力に目を向け、声を聞いていくのがおとなの責任ではないかと思いました。

「歴史は自然にできるものではない。
誰かが発掘して評価して次の世代に伝える。
そうしないと歴史にならない。
平和も同じ。ちゃんと歴史にして伝えていかなくてはならない。」
とお話しされ、講演を閉じました。

若い世代の人たちにも、ぜひ聞いていただきたいお話しでした。

私も、自分にもできることを、もう一度考えてみようと思います。

講演会の後は、「みんなで歌おう昭和の歌」と題し、福生在住の歌手、ダイナさん(ダイナマイト・ミキ改め)とサンサンシンガーズのステージがあり、会場の参加者も一緒に歌を歌いました。
楽しいひと時でした。

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