東京の地域公共交通と再生可能エネルギーを考える
東京自治研究センター主催のまちづくりウォッチング「東京の地域公共交通と再生可能エネルギーを考える」に参加しました。
(5月8日)
公共交通である都バスと再生可能エネルギーの関係は?
青梅支所(青梅車庫)があるのは なぜ?
そんなことを思いながら研修に参加しました。
青梅市内は、古くから青梅街道の宿場町として栄え、交通の要所でもありました。戦前から民間の事業者がバス路線を運行していましたが、戦後、1949年(昭和24年)多摩地域の振興策により、交通局青梅支所が開設。都区内と西多摩を結ぶ路線(青梅~荻窪)が開業し、路線を伸ばしていきました。
その後、1970年代から自動車利用の普及がなされ、バス事業は衰退していきました。
民間事業者が路線を廃止していく中、その不採算路線を都バスが引き継ぐなどして市民の足を守ってきました。
しかし赤字は続き、1984年からは沿線自治体から補助金の交付を受けて継続することになりました。
現在は、青梅車庫から花小金井駅まで(小平市)まで。
赤字は年間約3億円。
東京都、交通局、沿線自治体(青梅市・瑞穂町・武蔵村山市・東大和市・小平市)で3分の1ずつ負担しています。
地域の足となるバス路線を協働で守っていく視点はとても大切だと思いました。
各自治体でコミュニティバス等の運行が進められています。
しかし、市民は住む自治体だけで生活しているわけではありません。
民間事業者では採算の合わない多摩地域の市民の足となる公共交通を、東京都が積極的に財政支援したり、自治体間で連携しながらつくっていくことが必要であると思いました。
さて、なぜ東京都交通局が水力発電に取り組んでいるのか…
1991年(明治44年)、東京市電気局が発足。
3か所の火力発電所と路面電車を運営していました。
急速に近代化し人口が増え続ける東京で、交通機関である路面電車の運行と、その電力を自前で賄っていました。
1932年(昭和7年)、東京市会で議決された「東京次第に水道拡張事業」により改築される小河内ダムを利用して、水力発電を行うことを計画。昭和13年から工事が始まりました。(昭和18年から23年まで工事中断)
昭和17年には配電統制令が発令され、東京市営の電気供給事業が終了しました。
戦時中は、あらゆるものが国の管理下に置かれていたことがわかります。
1943年(昭和18年)には東京都制施行。東京市電気局から東京都交通局へ改称されました。
1954年(昭和29年)に都議会で「東京都電気事業基本計画」が決議され、
1957年(昭和32年)には多摩川第一発電所(小河内ダムの堤体に隣接して建てられている)、1963年(昭和38年)には多摩川第三発電所(御岳)と白丸調整池ダムが完成し運転が開始されました。
2000年(平成12年)には白丸発電所が完成、運転が開始されました。
条例も設置されていて、多摩川の流水を利用して発電を行い、都の施設ととの区域をその供給区域に含む一般電気事業者に電力の供給を行うこととされています。
令和6年度から7年度は、東京ガス(株)がプロポーザルによる入札で供給を受けることとなっており、東京さくらトラム(都電荒川線)と都バス全営業所等へも供給されます。
もともとは、路面電車への電力供給のための発電であったことから、電気局が交通局になった…ということのようです。
地域で使う電力を地域で賄っていくという考え方は、これからの再生可能エネルギー導入につながるものであると考えます。
東京都は面積は狭い自治体ですが、人口が集中している地域もあれば、自然が豊かな地域もあり、再生可能エネルギー導入を考えるうえで、さまざまな可能性が考えられるのではないでしょうか。島しょ部も含めれば、さらに可能性は広がります。
私たちが使いたいエネルギーを選択できるよう、自治体間の協力が必要であると思いました。