あの日を忘れない・・・女川町・石巻市・東松島市に行ってきました

2017年10月18日 17時05分 | カテゴリー: 防災

大川小学校。当時のまま残されている。

女川中学校生徒一同

女川町営グランドに建てられた仮設住宅

当時のままの女川町交番。向かって左側が屋根。

夢ハウスカフェ。元漁師さんが栽培するイチジク畑あり、仮設住宅で作られた布草履などの販売などなど、被災者のコミュニティとお仕事づくり。軒のすぐ下まで津波が押し寄せた。

夢ハウス2階の襖。津波の跡。

夢ハウスの八木さん(中央)とボランティアに来ていた生活クラブ神奈川の筒井さん(右)

女川中学校の生徒発案「いのちの石碑」。千年先の人たちにどう伝えたらいいのか、みんなで考え形になった。

「いのちの石碑」津波が到達した入江ごとに建てられる。

石巻市門脇(かどのわき)の千葉さん宅。「門脇ハウス」とよばれ、ボランティアに訪れる人の宿泊を受け入れていた。そのボランティアさんが残していった色紙がたくさん飾られていた。

このあたりもたくさんの住宅があったところ。石巻市高さ6メートルの津波が押し寄せた。整備された跡地は、 公園となる予定。

門脇小学校。当時のまま残されている。津波で流された自動車に火が付き押し寄せた。学校は火事になった。

福祉作業所で作られたタイルのモザイクが飾られたポスト。この地で亡くなった方への手紙を投函できる。

被災した人たちを奮い立たせるため、地元の大工さんが作った看板。これは2代目。子どもたちも含めた地元のみなさんで作った。

翌年、付近の瓦礫を集めて慰霊の灯がともされた。毎日油が継ぎ足され、燃えつ続けている。

まだ残る瓦礫の山。

東松島市、野蒜駅。手前の屋根が旧駅、奥の建物が現在の駅舎。

東松島市、小野駅前の空の駅。尾の仮設住宅で生まれた「おのくん」。靴下で作られたぬいぐるみ。1,000円で里親になれます。

空の駅にて。おのくんのお母さんの一人と一緒に。(右)

被災した高校生のけんと君が、津波の犠牲になった弟のりつ君のために、全国に呼び掛けて青いこいのぼりを上げた。「青いこいのぼりプロジェクト」

メッセージを書いてきました。子どもの日に、他のこいのぼりとともに飾られます。

東松島市の復興住宅に住む高橋さんご夫妻と。当時、全国から来たボランティアの若者から、近況などがつづられた手紙や写真が送られてくるそう。お部屋にたくさん飾られていました。この日は、送られた支援品を、ボランティアさんと一緒に届けました。

お世話になった「門脇ハウス」の千葉さん(右端)とハウスの前で。年内でお引越し。震災後、ここは非生活区域に指定された。 お世話になったボランティアの高橋さん(右から2番目)とガールスカウトの仲間。

石巻市は石ノ森章太郎さんゆかりの地。門脇ハウスのお風呂入口には気になる札が・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月14日・15日の2日間、女川町・石巻市・東松島市に行ってきました。
復興はまだまだ道半ば。
あっちもこっちも工事中。ダンプカーが行ったり来たりしている。まだ残ってる瓦礫の山。

被災地を忘れないって 被災地に想いを馳せることだけど、応援していくってことだけど、それだけじゃなかった。忘れないことで、自分が災害に直面したときの心構えが出来る…そう教えてくれたのは、ボランティアの高橋さん。

 

 

 

 

 

地域で仕事を生み出し、働く場の提供とボランティアにくる人の心を元気にしている女川町の「ゆめハウス」八木さん。ここは、ただ手伝いにくるだけじゃなく、ここから自分の出来ることや可能性を広げてほしい。どう生かされるか見出す場所。ここはスタート!と笑顔で話してくれた。

 

震災後、たくさんのボランティアの宿泊所となっていた石巻市門脇ハウスの千葉さん。非生活居住区に指定されているため、年内に移転する。ここでお世話になった人たちが残していった色紙を見ながら、たくさんの思い出を話してくれた。

 

復興住宅に住む高橋さん。あの時、たくさんの人にお世話になった。だから、自分を頼りにしてくれる人がいたら、出来るだけのことをしたいと話してくれた。高橋さんにお世話になった人たちから届いた、大切な写真やお手紙を見せてくれた。全国各地に子どもや孫がいるようだ。

まだまだ支援が必要。そして、今できることを考え、今こそ動く時だと思いました。